イタリアのHP

MAZZOLA, Enrique direttore

エンリケ・マッツォーラ 指揮者

1968年スペインで代々音楽家の家に生まれる
幼い頃よりアルマンド・ブラッティンのヴァイオリンのクラスで音楽の勉強を始める
ミラノのヴェルディ音楽院でダニエレ・ガッティにオーケストラ指揮法、アツォオ・コルギのもとで作曲を学ぶ
スカラ座において(大変緊密なつながりをもって)クラウディオ・アッバード、ジュセッペ・パタネ、ウラディミール・フェドセフらのもとで仕事をする

オーケストラ指揮者としてのデビューは、'89年ベルリン祝祭歌劇場に於けるロベルト・カッテパリア作曲「千夜一夜物語」で、このオペラは1年後の1990年ミラノの劇場で再演。レコーディングもされた

1990年ミラノでヴァレンティノ・ブッキ作曲「IL GIOCO DEL BARONE」(ミラノ)
1992年「尼僧アンジェリカ」(ミラノ及び大阪国際ホール)を指揮
1993年フィレンツェ五月祭オーケストラ、同合唱団によるクリスマスコンサートを指揮。 同オーケストラは「第40回プッチーニ・フェスティバル」(トッレ・デル・ラーゴ)の開幕コンサートに招かれ華々しい成功として聴衆、評論家に高く評価される
1993年〜1994年にかけてミラノの主だったオーケストラ、室内楽団と多数共演。またトリノのテアトロ・レージョ、アレーナ・ディ・ヴェローナ・オーケストラ、シチリア交響楽団、パドヴァとヴェネトの室内楽団等を指揮。 ルッカのテアトロ・デル・ジーリオでは、1993のオペラシーズンをボッケリーニ、カタラーニ に献呈されたプログラムで締め括った
 
オペラでは、1994年に3つの作品「ラ・ボエーム」(東京)「友人フリッツ」(ロンバルディア州のすべての主要な劇場)、新しく再開されるアスコリ・ピチェーノのシーズンでの「ランメルモールのルチア」を新しく手がけた

1991年東京文化会館(小)での、畑 和子リサイタルの伴奏者として初来日以来、畑 和子だけでなく会員のリサイタル伴奏者としてたびたび来日
2000年には、ピッコロ・スカラ日本公演(日生劇場)では「コシ・ファン・トゥッテ」指揮者として来日

1993年より、シンフォニーやオペラの国際的な指揮者として活動を開始。指揮者としての経歴は枚数にいとまがないが、主な物は、昨年のエクサン・プロバンス音楽祭での「ファルスタッフ」, ローマ・サンタチチリア音楽院、フィレンツェ五月祭オーケストラ、ペザロでのロッシーニ・フェスティバル、シュッツガルト大劇場、ボルドー大劇場、ナポリ・サンカルロ歌劇場、スイス放送オーケストラ等々

2002年10月には、待望のミラノ・スカラにデビューを果たす

2003年4月 ラ・ヴォーチェ公演「ヴィクトリア・ルキアネッツ& 市原多朗
          ジョイントコンサート」(オーチャードホール)指揮のため来日

2005年9月〜10月 スカラで≪セヴィリアの理髪師≫指揮 (延べ12回)

アミーチ・デッラ・リリカ設立メンバーであり芸術監督