1910年ヴァイオリンの勉強を始め、作曲を当時の有名な音楽家、
パルマ音楽院学長マエストロ ズエッリ(ZUELLI)に学び、最高の成績を修める
1921年から1923年までジュセッペ・ヴェルディ合唱団(Coro di G.Verdi)の指揮者に任命され、任期中にベローナで行われた国家合唱コンクールで優勝し、国王ヴィットリオ エマヌエレ3世から名誉騎士(Cavaliere)の称号を授けられる
その後、プッチーニなどの作曲家の世話をしたことで有名な伝統的音楽出版社ソンゴーニョ社に、当時最盛期を迎えていたオペレッタ公演のために、大オペレッタ公演部の局長として招かれ、ミラノに住居を移す
1928年当時のオペレッタの花形興行団、オデッテ・マリオン歌劇団Compagnia Odette Marionの総監督に就任し、イタリア、フランス、
アルゼンチン、ブラジルなどで大センセーションを起す。第二次世界大戦のためイタリアに戻り、オペラ指揮、オーケストラ指揮者としての活動に専念し、またオペラ教室を開催し、多くの生徒を輩出する
戦後1950年より指揮活動を再開し、イタリア、オランダ、ドイツ、イギリス、各地の劇場でテノール 「マリオ デル モナコ」 を始め、多くのオペラ黄金時代を築くスター歌手たちの若き日々の指揮をしている
その後スカラ座でも活躍したソプラノ歌手、マグダ・ピッカローロと結婚し、二人でオペラ教室を開き、多くの生徒を育てる
最後まで多くの生徒にベルカントの基本を教え続け、惜しまれて生涯を終える |